信用できる話と胡散臭い話の違い

会話で胡散臭いと言われる人。

世の中には多くいると思います。

お前の話、現実味がなくて胡散臭いんだよね。

そういわれるのは、誰しもあることです。

疑われて信用を無くすのは嫌な気持ちになると思います。

疑われないためには、どうするのか?

自分の言葉で話すことです。

自分の言葉はどんなものなのかと言うと、経験したことです。

テレビやインターネットで見かけたことをそのまま言っても、みんな知ってることなので楽しみを感じられません。

誰が言っているのかって、話を聞いている人はわかってしまうんです。

自分か、それとも他人かって。

読書ばかりして頭でっかちになっていれば、様々な知識で武装できますので、カッコよく見えます。

何でも知ってますからね。

でも、言葉が冷たくなるんです。

暗~くなったり、明るそうになったりしますが、何処となく単調。

それが、経験を踏まえて話しているときは、声の音が揺らぎます。

経験が本音を動かしているからです。

そういった声は、聴いている人も相手と声の雰囲気が合致して聞こえて、楽しそうにします。

堅い気持ちになりそうなときは、自分の気持ちを言葉に出来ていないとき。

人はデータの生きものではなく、感情があって気持ちの抑揚が生まれ、感動を与えられます。

どうしても、感情が出せないときは、その日体験したことを話してみましょう。

楽しい、辛い、面白い、悲しいなどの気持ちが、行動ひとつひとつを振り返らせて、リアルな感情を伝えられます。

単純ですが、効果抜群ですよ♪

こころの健康は、身体が取り込んだ様々な物質で得られています

唐突に問題。

自分だけの生活と他人がいる生活の幸せの違いは何でしょうか?

家庭があるか、一人暮らししているか。

答えは、自分の社会の感じ方です。

インターネットが普及するようになって、人と触れ合う時間が減りました。

友達と会話するときは、ラインやボイスチャットで顔を見せずに会話ができます。

現代社会は、情報が頭に入れば十分と言う風潮で、ただ見えるもの分かるものに執着するようになったのが現状です。

コロナ禍になってからは、面と向かって触れ合うことが制限され、なおさら、生の情報がなくなりました。

しかし、人は脳で判断したものだけではなく、人同士が触れ合う生体反応でも生きていることを確認しています。

それは、DNAの交換です。

人の体は性行為以外でも体液交換を行っています。

喋るときに出てくる唾液や汗には、DNAが含まれています。

会話の際、パッパと飛び散る他人の体液で相手のDNAを取り込み、体を今の環境に馴染ませます。

データだけでの会話では、環境に溶け込むのは生物学上、あまり宜しくありません。

政府が人と触れ合わせない方針で進めている以上、可能な限り情報だけに埋もれない方法があります。

自然を堪能することです。

大自然を歩くときは、外の空気を吸うことが多くなります。

場所によっては、マスクを外して息を吸うこともあるでしょう。

その時、精一杯、息を吸ってください。

元気がモリモリ出てきます。

こころ病んでいるときは、外に出るのも億劫で、テレビ、スマホ、パソコンなどの一人で受け身に楽しむものに時間を使うことがあります。

すると、人との生の触れ合いがなくなり、次第に自分の世界に引き込まれます。

今は、みんな、体がこころが病む方向へ突き進んでいます。

だからこそ、外に出れる時は空気をたくさん吸いましょう。

体とこころが外の多種多様な物質たちに刺激されて、元気を取り戻します。

皆様の心と体に健康を。